延喜式内社といわれる布制神社と延命寺は隣りあっている。近くに布施氏・平林氏に関係深い須立城・八竜大権現がある。天保十一年(一八四〇)「免相・本新田高付帳」では免三ッ五分、本田二八一石余、新田二七六石余である。文久三年(一八六三)に笹平村に藩検見(けみ)役人の宿泊を依頼し、その賄料は有旅村・山布施村・山村山村・青池村で負担したが、山布施村は多い村である。慶応四年の村高五五六石余、九三軒、五〇一人、馬一三匹。
山布施村
延喜式内社といわれる布制神社と延命寺は隣りあっている。近くに布施氏・平林氏に関係深い須立城・八竜大権現がある。天保十一年(一八四〇)「免相・本新田高付帳」では免三ッ五分、本田二八一石余、新田二七六石余である。文久三年(一八六三)に笹平村に藩検見(けみ)役人の宿泊を依頼し、その賄料は有旅村・山布施村・山村山村・青池村で負担したが、山布施村は多い村である。慶応四年の村高五五六石余、九三軒、五〇一人、馬一三匹。