かつて大町街道といわれ、長野飯田線、国道一九号と変遷する。明治三十六年(一九〇三)七二会-小田切の犀川左岸の道から、右岸に付け替えられ、信里地区の秋古-村山を通るようになった。大正六年(一九一七)七月川中島駅が開業し、同十五年に川中島駅-笹平間一日六往復の定期バスが運行した。昭和九年六月村山-瀬脇間の木橋を鋼橋(長さ一〇六・〇メートル幅五・五メートル)の明治橋に架けかえた。このころ秋古・村山の集落のなかを通っていたバスも犀川沿いの道にかわった。同二十七年に一級国道編入、同三十五年長野-笹平間を鋪装。平成六年十月明治橋は歩道付き二車線(延長一四六・〇メートル、幅員一三・〇メートル)となった。国道一九号は長野-名古屋間の重要幹線となっているが、秋古の急カーブの改善が求められている。