寺子屋と師匠

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信里地区の寺子屋は文化・文政期から幕末にかけてさかんであった。『更級郡埴科郡人名辞書』によると師匠は二〇人が載っている。地域別では村山四、十二・有旅各三、犬石・笹鍋・山布施・秋古各二、若林・青池各一人と、全村に広がっている。若林の甲田家は宝栄が代表しているが、重栄・栄光・寿栄と寺子屋師匠がつづいている。村山の小山銀三郎の父七右衛門の筆塚は管公廟として村山分校跡地に建っている。また犬石の佐藤喜左衛門は襲名で何人かが師匠をしているという。有旅の小出八百治の筆塚は後藤新平の書であり、池田愛蔵の筆塚には歌が刻まれている。筆塚は九基確認した。