明治六年(一八七三)田ノ囗(篠ノ井信更町)に有旅村・山布施村など七ヵ村学校組合「格物学校」を開校した。明治五年「学制」により同七年三月山布施の延命寺に若林・遊谷・山布施・青池・桜井・宮平・下平などで励衆学校を、同年五月上有旅の照泉寺に上有旅・下有旅・犬石・十二・笹鍋・浅野などで称平学校を、同年十二月村山は荒神堂に協同学校をそれぞれ創設した。明治二十二年有旅村と山布施村は合併し、法輪寺(青池)に信里簡易小学校、荒神堂(村山)に村山簡易小学校を設置した。同二十九年小学校は法輪寺より現在地の新校舎に移り、翌年村山分教場も新校舎地に移った。同三十一年四月「信里尋常高等小学校」となる。昭和十六年(一九四一)信里国民学校となる。同二十一年度の児童数は初等科四〇〇人、高等科一三一人、分教場一二一人であった。同二十二年(一九四七)信里中学校開校。同四十一年三月篠ノ井市立西中学校信里部校を閉校し、生徒たちは同年四月から現在の篠ノ井西中学校に通学するようになった。
平成六年信里小学校開校一二〇周年記念式典を挙行。児童数本校八九人、分校一〇人。同七年三月村山分校は閉校され、本校に通学する。村山の中学生は裾花中学校へ通学している。