信里地区は丘陵地で奥に深山もなく水不足がちで、峠の上にある小学校は、夏は水筒持参が珍しくなく、戦後は学校給食やプールの用水がつねに不足がちであった。専用の簡易水道設備をつくったが夏の渇水時には水源が枯れてしまった。各集落でも井戸に揚水ポンプを設けたり、湧水利用の小グループの簡易水道を布設したりしたが、ふんだんに使うことはできなかった。
昭和四十一年平坦部では県営水道が始まっていたが、信里地区も同四十三年正月に水道布設の期成同盟会が結成され、地区全戸加入の準備も整った。同年九月二十六日起工式となり、全地区民総出で労力を提供し、工事費の軽減と早期完成を期して協力した。起工からわずか三ヵ月、十二月二十六日各種団体代表・児童生徒などが参加し、煙火(はなび)を打ち上げ消防団の放水などして竣工給水式をおこない地区をあげて喜びあった。これを記念して同四十四年四月小学校玄関わきに記念碑を建てた。