明治二十二年(一八八九)の清野村の発足にさいして、岩野村では新村名をつけることを主張したが、けっきょくは歴史的に古くから知られた「清野」を村名とすることに同意した。「清野」の文献上の初見は、永享(えいきょう)十二年(一四四〇)の『結城(ゆうき)陣番帳』にある清野氏の名である。地名では「覚上公(かくじょうこう)(上杉景勝)御代御書集」にみられる、天正(てんしょう)十年(一五八二)の「清野鞍懸(くらかけ)山」(『信史』30)が古い。
岩野村は古くは斎野村といい、延徳(えんとく)年間(一四八九~九二)に上野村とかわり、寛文(かんぶん)六年(一六六六)に岩野村と改称したという(『町村誌』)。慶長(けいちょう)九年(一六〇四)の「草山年貢帳」や元和(げんな)二年(一六一六)の「酒井忠勝知行目録」には上野村と記されており、慶長七年の「四郡打立帳」や『正保(しょうほう)郷帳』以降は岩野村と記されている。