象山西麓(せいろく)の五反田や中沖地区には条里地割りがみられる。年代は不明であるが、清野から西条・中条・東条へとつづく、千曲川右岸の自然堤防の後背湿地(こうはいしっち)で、この地が水田として古くから開発されていたことがわかる。四ッ屋遺跡と一体のもので、五反田の地名も条里に関係があろうと考えられている。
二 条里遺構
象山西麓(せいろく)の五反田や中沖地区には条里地割りがみられる。年代は不明であるが、清野から西条・中条・東条へとつづく、千曲川右岸の自然堤防の後背湿地(こうはいしっち)で、この地が水田として古くから開発されていたことがわかる。四ッ屋遺跡と一体のもので、五反田の地名も条里に関係があろうと考えられている。