溺死者供養塔は岩野の国道沿いに、徳本(とくほん)の名号(みょうごう)碑と並んでたっており、文化七年(一八一〇)の『北国街道分間絵図』にも記載されている。寛保二年八月二日の水害は、俗に「戌(いぬ)の満水」とよばれ、千曲川沿岸一帯に大きな被害をあたえたが、なかでも岩野村は壊滅的な被害をこうむった。その供養のために建立されたものである。建立にあたっては正源寺の住職伊熊秋水門下の百花連が協賛し、供養のため経石を埋めたという。
また、笹崎の路傍には、水の安全を祈願した「水祖罔象女神(みずはのめのかみ)」と「水天宮」の碑がたっている。