妻女山にある。弘化四年におこった善光寺地震の犠牲者にたいする松代藩の供養塔である。松代藩は三回忌にあたる嘉永(かえい)二年(一八四九)に長国寺で供養の法事をおこない、妻女山へ供養塔を建立した。長国寺の法要にあたって、松代藩では「参詣いたしたきものは勝手しだい」と、一般の領民にも参拝を許可した。碑文には、「三月二十四日の地震による領内死者二七六四人、四月十三日の決壊氾濫(はんらん)による溺死者四六人、ああいたましいかな」と刻まれている。
罹災横死供養塔
妻女山にある。弘化四年におこった善光寺地震の犠牲者にたいする松代藩の供養塔である。松代藩は三回忌にあたる嘉永(かえい)二年(一八四九)に長国寺で供養の法事をおこない、妻女山へ供養塔を建立した。長国寺の法要にあたって、松代藩では「参詣いたしたきものは勝手しだい」と、一般の領民にも参拝を許可した。碑文には、「三月二十四日の地震による領内死者二七六四人、四月十三日の決壊氾濫(はんらん)による溺死者四六人、ああいたましいかな」と刻まれている。