いずれも大村の高源寺跡の観音堂のわきにある。真田信之(のぶゆき)の供養塔は万治(まんじ)元年(一六五八)、初代松代藩主信之の没後、娘の見樹院が供養のために建てた笠塔婆(かさとうば)である。明治の廃寺後倒壊していたが、平成九年(一九九七)修復再建された。高源院は真田藩二代藩主の信政の子で、兄と争って死んだ。天保(てんぽう)十五年(一八四四)六月二十三日に、高源院の二百回忌の法事がおこなわれ、藩主真田幸貫(ゆきつら)も供養に訪れた。そのときに建立された宝篋印塔(ほうきょういんとう)である。これも以前は観音堂の上にあったが信之の供養塔とともに平成九年、現在地へ移建された。