勘太郎橋

312 ~ 312

旧北国街道松代通りの清野川にかかる石橋である。延享年間(一七四四~四八)の架橋と伝えられ、棟梁の名をとって橋名としたという。松代城下の出はずれにあり、松代藩の公式な送迎の場で、藩主の帰国のさいは町奉行・町役人や領内の問屋などがここまで出迎えた。明治二十七年(一八九四)岩野の南次郎三郎が洋式のアーチ型の石橋にかけかえた。次郎三郎は旧国鉄碓氷(うすい)四号トンネルの設計者でもあった。平成四年(一九九二)、湛水(たんすい)防除のための県営土地改良事業のときに修復された。