さつまいもと長いも

323 ~ 323

さつまいもは江戸時代の末ころから栽培されていたが、本格的に栽培されるようになったのは明治になってかららしい。はじめは自家用に栽培されたが、砂質土に適合したため、換金作物としてしだいに栽培されるようになり、近代の清野村は寺尾村とともにさつまいもの特産地として知られた。さつまいもは川中島平の村々の麦と交換された。交換比率はさつまいも二貫目に麦一升だったという。戦中戦後の食糧不足の時期には主食の代用として重視されたが、食糧事情の好転にともなって減少した。

 長いもも、岩野から寺尾にかけての千曲川沿岸が日本有数の産地である。栽培歴は古く、すでに明治十三年の『町村誌』には、岩野村の産物として一歳芋二五〇貫(約九四〇キログラム)が記載されている。一年で収穫できるので「一歳いも」(もじって、一茶いも)といわれ、戦前は換金作物として栽培された。しかし、本格的な栽培は戦後で、昭和三十年代から需要が急増し、同四十八年には松代町内の長いもの栽培面積は二三〇ヘクタール、産出高は七〇〇〇トンにおよんだが、その中心は岩野地区であった。現在も長いもは岩野の主力作物である。

 大正十年(一九二一)に、岩野駅前と清野の象山口駅前に青果市場ができた。主な取り扱い品目は、岩野ではさつまいも・なす・かぼちや・菜類・ばれいしょ・ごぼう・スイカ、清野ではスイカ・きゅうり・菜類・ばれいしょ・ごぼうなどであった。