赤坂の渡し

326 ~ 326

松代城下と領内の西山中方面や北国街道(本街道)とを結ぶ渡河点として重視され、松代藩七渡しの一つに数えられた。藩では藩主とその家族専用の御用船をおいた。道島は赤坂の渡しへの分岐点であった。明治六年四月、長さ四〇間、幅六尺の船橋がかけられた。明治中期には木橋がかけられ、明治三十年には篠ノ井-松代間に乗合馬車が、大正九年にはバスが開通した。昭和三十一年に鉄橋になったが、流路部分だけの変則的なもので、現在上流に新橋の架橋がすすめられている。