象山口駅と岩野駅
明治十六年に、政府は国有鉄道の布設を立案し、信越線については、現在の信越線と千曲川の東を通過する線と二つの案をたてて測量を実施したが、河東案は採用にはならなかった。大正九年、河東鉄道株式会社(のち長野電鉄株式会社)が設立され、同十一年六月に屋代-須坂間が開通し、岩野に岩野駅が設置された。のち利用者の増加にともなって昭和九年五月には清野に象山口駅が設置された。戦後の食糧不足の時代には、岩野駅は買い出しの乗降客でにぎわい、乗降客は一ヵ月に一万人をこえたという。
写真8 岩野駅