敗戦後は食糧事情が極度に悪化し、都市部から農村へ食糧買い出しの人びとが押し寄せた。いっぽう戦後の解放感から文化活動は青年団を中心に活発になった。最初は村祭りのさいの芝居やのど自慢などが主であったが、しだいにコーラスや演劇活動に移り、昭和三十二年(一九五七)ころには清野青年団は演劇部門が県代表として全国大会へ出場するなどの活躍をした。
またPTA母親文庫は昭和二十五年県立長野図書館に創設されたが、三十年になると、忙しい家事や農事の合間に本を読みたいという母親たちの希望が実って、清野小学校母親文庫が発足した。県下でも早い時期のものであった。県立長野図書館の積極的な支援を得て、がり板刷りの『母親文庫読書感想文集』なども発刊するほどで、埴科郡では中心的な活動をした。