戦後の土地改良事業

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第二次世界大戦前の電気揚水事業によって灌漑用水の心配はなくなったが、排水不良の状態は依然としてつづき、大雨のたびに冠水による作物被害が大きく、また道路が冠水して交通が途絶するなど、生活面での支障も大きかった。昭和五十三年に、清野地区土地改良組合が発足して県営の湛水(たんすい)防除事業および排水対策特別事業が着工した。清野川上流の水路を改修し、延べ二四六六メートルの農業用排水路を整備して雨水などの自然流下を容易にし、また、千曲川の出口には毎秒三・八立方メートルの排水機場と水門を新設した。昭和六十三年に工事は完成して、ひきつづいて同年には清野土地改良区を設立して、土地基盤整備事業として畑地灌漑施設の全面改修に取りくみ、平成九年に完了、それぞれの竣工記念碑を建立した。