この地はもと海津といった。慶長八年(一六〇三)松平忠輝が川中島地方をあたえられ、翌年入城のとき、苗字の松を取って松城と改めた(『つちくれかかみ』)。史料での松城の初見が慶長九年(『信史』⑲五七六頁)だから、この説は本当かもしれない。元和(げんな)八年(一六二二)真田氏入城後、正徳(しょうとく)元年(一七一一)幕府の命により松代と改めた(『信府統記』)。幕府からあたえられた知行目録に「松代」と書いてあったので、そのまま松代と書くようになったともいうがはっきりしない。城の名がそのまま城下町の名になった。