近世には松代町の人口は町人町のみ調査され、武士人口は別に調査された。下級武士の住所は町をはずれているものも多く正確な人口はつかめない。町方人口は明和四年(一七六七)二三一九人で、武士を加えおよそ六千数百人と推定される(『松代町史』)。町つづきを加えると約一万人ほどで、善光寺町とほぼ同じ規模だったらしい。人口は大正九年(一九二〇)にピークに達した。これは製糸業の隆盛によるものであろう。つぎに昭和二十年(一九四五)に最高になるが、これは疎開者の流入による一時的増加である。その後は戸数・人口とも減少の一途をたどっているが、そのスピードは速くはない。しかし周辺部をふくめても人口の増加率は低く、長野市に合併したときの人口は周辺農村部をふくめて二万一二四二人にすぎなかった。その後もほとんど増減がない。