藩の役人のうち、直接村方と関係深い役人は奉行(ぶぎょう)・代官・手代(てだい)などであった。奉行には職(しょく)奉行・郡(こおり)奉行・寺社奉行・町奉行があった。職奉行は警察・訴訟など、郡奉行は年貢関係をあつかった。天保十四年(一八四三)の改正で職奉行は郡奉行に合わされ、四人のうち、二人ずつがもとの職奉行と郡奉行の役をするようになった。郡奉行の下に代官と手代があり、代官は数人、手代は十数人であった。このほか後期には道橋奉行、勘定所元締、勘定吟味などの役職があった。たとえば文政十二年(一八二九)には代官四人、手代一六人が、それぞれ分担の村を決めていた。嘉永(かえい)二年(一八四九)には、村々の統治に直接関係ある役職はつぎのとおりであった(『更埴地方誌』③)。
郡奉行(四人) (公事方懸り、収納方懸り各二 代官(五) 道橋奉行(三) 町奉行(二) 勘定所元締(二)
勘定吟味(五)
奉行は大体一五〇石前後、代官は五〇~一〇〇石くらいの藩士であった。手代は一率に五斗入四〇俵であった。