近世初期の商取引は定期市が中心であった。伊勢町・中町・荒神町に市が開かれ、寛文(かんぶん)四年(一六六四)には月六日の市を開くという定書が出されている。しかし正保(しょうほう)四年(一六四七)ころの文書に、善光寺平では松代市と善光寺市が十二斎市(さいいち)(ひと月に一二日開かれる市)だと記したものがあり、多分はじめは月一二回開かれたものだろう。市の祭り天王祭(祇園(ぎおん)祭)は、尼巌山麓(あまかざりさんろく)の玉依比売(たまよりひめ)神社(池田宮)境内の祇園社の神輿(みこし)(市指定文化財)を中町のお旅所に移して始まる。この神輿は慶長(けいちょう)九年(一六〇四)松平忠輝の寄進といわれ、市が尼巌城下で開かれていたころの名残であろう。定期市は文化年間(一八〇四~一八)に糸市が立つなど形態を変えながらも近世後期までつづいた。