明治五年(一八七二)、政府は国立銀行条例を制定した。国立第六十三銀行は明治十一年十二月松代町にできた。発起人は八田知道ら、初代頭取は吉池文之助(丸子町)、株主の九四パーセント、株の七九パーセントは士族が占め、典型的な士族銀行だった。頭取(八〇株)につぐ六〇株の大株主は松代の八田・太田藤右衛門・増田徳左衛門・永島新兵衛ほか三名だった。士族授産事業の六工社(ろっこうしゃ)はじめ製糸業への融資をおこなった。
しかし明治十五年には早くも経営不振におちいり、同二十六年役員が総退陣して稲荷山(いなりやま)銀行に合併された。ただ第六十三銀行の名だけは残った(八十二銀行の前身)。