松代商工会議所

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松代の商工業を発達させるためには、法人組織の商工会議所が必要である。松代商工会の会長であり、町長であった八田恭平らが音頭を取り、松代商工会議所設立の運動をおこない、昭和二十六年(一九五一)七月、認可され、長沢太一が会頭に就任した。商工会議所設置には人口三万以上、商工業のさかんな都市という条件があり、松代はそのどちらにもあてはまらなかったが、熱心に運動して許可を得た。二十九年、設置基準が五万以上の都市になり、また長野市合併後は商工会議所は一行政区に一つという基準にあわないので、危機に立たされたが、陳情の結果四十七年六月、「松代商工会議所の地区は長野市松代町にする」という定款(ていかん)変更が認められ、現在松代商工業の中心になって活動している。真田祭も商工会議所が創設、運営している。