電鉄

380 ~ 380

大正十一年(一九二二)河東鉄道(長野電鉄)屋代・須坂線が開通、松代駅が設けられた。この鉄道は須坂の製糸業者の要望で設けられたが、松代も当時製糸業がさかんであったので利用価値が多かった。太平洋戦争末期には松代大本営工事のためこの鉄道を利用して多くの物資が送りこまれ、戦後は掘りだされたズリ(砕石)が東京方面へ送られて首都復興に役立った。しかし、トラック輸送やバス輸送の発展により乗客が激減している。