松代群発地震

382 ~ 382

昭和四十年(一九六五)八月から同四十三年四月ころまで約三年間、皆神山(みなかみやま)付近を中心とする群発地震があった。四十一年三月から七月ころが活動最盛期であった。松代町は三月二十一日警戒警報を発令した。四月十七日には有感地震が六六一回、うち震度5と4がそれぞれ三回あった。真田家墓地では墓石がほとんど倒れてしまった。しかし、家屋は強震に備えて補強してあるものが多く全壊などの被害はなかった。この地震は全国に報道され、五月十九日には佐藤総理大臣一行が、七月二十六日には皇太子が視察に来た。松代の旅館は報道陣で満員になり、ふだん静かな町は全国の注目を集めた。地震観測所を中心に地震が長くつづくというのも世人に不思議を感じさせ、どうなるかという学問的見通しも発表されないので、中村兼治郎町長が「学問がほしい」と発言して話題になった。九月十一日には牧内地区(豊栄)の地滑りなどがおきたが、旧松代地区は大きな被害はなく地震は自然に終息した。


写真11 松代地震で倒れた真田家墓地の石塔 現在は復元されている