松代藩ではいろいろな学問がさかんであったが、とくに歴史編纂(へんさん)がさかんであった。竹内軌定(のりさだ)は享保(きょうほう)十六年(一七三一)真田家史『真武内伝』を編纂、柘植宗辰(つげむねとき)は宝暦十二年(一七六二)『真武内伝付録』を編纂した。落合保孝(ほこう)は宝永三年(一七〇六)松代の地誌『つちくれかかみ』を編纂した。家老鎌原桐山(かんばらとうざん)(嘉永(かえい)五年、一八五二没)は漢学者として著名で、資料的価値の高い随筆『朝陽館漫筆』を書いた。
藩士らの修史
松代藩ではいろいろな学問がさかんであったが、とくに歴史編纂(へんさん)がさかんであった。竹内軌定(のりさだ)は享保(きょうほう)十六年(一七三一)真田家史『真武内伝』を編纂、柘植宗辰(つげむねとき)は宝暦十二年(一七六二)『真武内伝付録』を編纂した。落合保孝(ほこう)は宝永三年(一七〇六)松代の地誌『つちくれかかみ』を編纂した。家老鎌原桐山(かんばらとうざん)(嘉永(かえい)五年、一八五二没)は漢学者として著名で、資料的価値の高い随筆『朝陽館漫筆』を書いた。