八代藩主幸貫の命で家老河原綱徳(かわらつなのり)が編纂、堤俊詮らがこれを助け、九年間かかって正編ができた。つづいて続編にかかり、綱徳の死後、飯島勝休(かつよし)が継ぎ、明治五年(一八七二)、火災にあって藩にあった稿本を焼失したが、手元に保存してあった稿本をもとに続編を完成した。総巻七三巻、付録四九本の大著である。勝休はまた家伝の史料等をもとに『飯島家記』を編纂した。
『真田家御事蹟考』
八代藩主幸貫の命で家老河原綱徳(かわらつなのり)が編纂、堤俊詮らがこれを助け、九年間かかって正編ができた。つづいて続編にかかり、綱徳の死後、飯島勝休(かつよし)が継ぎ、明治五年(一八七二)、火災にあって藩にあった稿本を焼失したが、手元に保存してあった稿本をもとに続編を完成した。総巻七三巻、付録四九本の大著である。勝休はまた家伝の史料等をもとに『飯島家記』を編纂した。