俳諧

386 ~ 386

真田家には文芸愛好の風があった。六代幸弘は菊貫(きくつら)と号し、とくに俳諧を得意とした。毎月句会を催し、その連句を記録した冊子百数十冊が現存する(真田宝物館蔵)。参加者は家老鳥髭(とりひげ)(小山田之直(ゆきなお))はじめ皆藩士らしい。幸弘は恩田木工(もく)を登用して改革をおこなった藩主である。之直の子之堅も一茶の句集を写すなど俳諧に趣味があった。之堅は三〇年も家老を勤め、真田党と恩田党との対立の和解に尽力した。松代藩が藩内に鋭い対立を抱えながら、混乱におちいらず、秩序を保ちえたのは、文芸愛好などの柔軟な風潮があったためでもあろう。倉田葛三(かつさん)は松代の商家の生まれで、一茶と並び化政期の信濃を代表する俳人だった。主に江戸方面で活躍した。松代城跡にその句碑がある。