八橋(やつはし)流箏曲(そうきょく)は近世初期、八橋検校(けんぎょう)が創始した流儀で、生田流、山田流のもとになった由緒ある流儀である。二代藩主信政の子信就の母小野図子(二代目お通)が八橋検校から直接伝授されたものが伝わったという。この流は横田甚五左衛門の長女由婦(ゆふ)(真田貫元妻)をへてその孫真田志んに伝わり、八橋流箏曲は国の重要無形文化財に選択され、志んは重要無形文化財保持者(人間国宝)になった。その子真田淑子が後継者、八橋流箏曲家元になっている。
松代からは童謡の作詞・作曲者が何人も出ており、真田公園に「童謡の森」がある。「子鹿のバンビ」は坂口淳(あつし)作詞。「みかんの花咲く丘」は海沼実作曲。坂口・海沼は松代出身。山上武夫も作詞者として著名だった。