横田家

387 ~ 388

横田家からは真田志んの母寿(とし)子・和田英・横田秀雄・小松謙次郎が出ている。英は製糸工女のリーダーとして著名、秀雄は大審院長、その子正俊は最高裁長官と二代つづけて裁判官最高の地位に就いた。他家を継いだ謙次郎は鉄道大臣になった。母亀代は養子の夫数馬を早く失い、赤貧のなかで子女をりっぱに育てた。その家は、一八世紀末ころの建築で重要文化財に指定されている。

 なお司法官としては大審院検事長(総長)渡辺驥(すすむ)(天保七年、一八三六~明治二九年、一八九六)、司法大臣・副総理塩野季彦(すえひこ)などが出ている。渡辺の世話で司法官になった松代出身者は二〇人におよんだという。


写真12 横田家(重要文化財)