明治九年(一八七六)、東条・田中・加賀井の三ヵ村が合併したとき、村名を東条村とした。三ヵ村のうちではもっとも大村であり、また古くから地域の総称として使用された東条の村名を採用したと考えられる。「東条」の名は古代英多(あがた)荘の東条に由来するといわれ、ほかに西条・中条(ちゅうじょう)の地名も現存する。東条の地名の文献上の初見は、皆神山熊野神社の大日如来・阿弥陀(あみだ)如来・弥勒菩薩(みろくぼさつ)座像にある弥勒二年(永正(えいしょう)四年、一五〇七)三月の「信州埴科(はにしな)郡英田(多)庄東条群(皆)神山」の銘である。