二 条里遺構

402 ~ 403

 田中から長礼(ながれ)地区の西方には、昭和三十年代末ころまで条里地割りがはっきり認められた。住宅団地造成などのためにほとんど失われてしまったが、兼田・二反部・五反部・縄手など条里に関係があるとみられる地名が残っていた。この遺構は千曲川右岸の自然堤防の後背湿地(こうはいしっち)にあるもので、西条・清野地区のものと共通している。周辺の古墳群や遺跡群などとともに古くからこの地方の開発がすすんでいたことを示している。