東条郷

404 ~ 404

永正(えいしょう)四年(一五〇七)の大日寺の仏像の胎内銘に「埴科郡英田(多)庄東条群(皆)神山」とある。永禄五年(一五六二)には武田信玄が、「東条之郷」に諏訪上社の頭役(とうやく)を命じており、同十二年には三之御柱の頭役を勤め、天正(てんしょう)三年(一五七五)・同九年にも頭役を勤仕している。天正十年には織田信長の将森長可(ながよし)は窪嶋日向守(くぼじまひゅうがのかみ)に東条堀内三七貫文を安堵(あんど)し、同年九月には真田昌幸が町田外記(げき)に東条のうち五〇貫文をあたえている。