建武中興後の中先代(なかせんだい)の乱で、建武三年正月、信濃守護であった足利尊氏(あしかがたかうじ)方の村上信貞は小笠原貞宗とともに清滝城を攻めた。戦闘は十三・十七の両日におこなわれた。
清滝城跡は奇妙山頂周辺一帯で、東西に土塁(どるい)・空堀(からぼり)が残り、明治十五年(一八八二)ころ山頂の御岳山の神祠(しんし)を普請したとき、地下から焼いた米や大・小麦が出土したという(『海津近傍古城考』)。清滝城に立てこもった武士については、神氏一族の関屋・寺尾・保科氏らなどとする説があるが、当時この地方に大きな勢力をもっていたと推定される清滝寺一山衆徒だとする説もある。