玉依比売命(たまよりひめのみこと)神社の大門の南にあった「日の丸」は、尼巌城主東条氏の居館跡といわれる。近世のはじめまで土塁が残っていたが、寛保(かんぽう)の満水で流失したと伝えられる。
般若寺には、不完全ではあるが近在ではめずらしく大きな十数基の五輪塔群があり、古くから東条氏の廟所(びょうしょ)と伝えられてきた。子孫が建てた石灯籠(いしどうろう)があり、「天保(てんぽう)八年(一八三七)東条八太郎源為一これを建てる」と刻まれている。江戸時代の儒学者東条琴台もその子孫といい、尼巌七騎といわれる家がある。