庚申塔は各集落ごとにある。屋地大日堂の承応(じょうおう)三年(一六五四)銘の庚申塔は松代周辺ではもっとも古いものであり、市内でも古い部類に属する。岩沢・田中浄福寺には明暦(めいれき)年間(一六五五~五八)、竹原の寛文(かんぶん)元年(一六六一)のものがあり、延宝年間(一六七三~八一)のものも四基を数える。庚申信仰が江戸時代の初期からさかんであったことをうかがわせる。菅間では、昭和五十五年の庚申年にも庚申塔が建立されている。
庚申塔
庚申塔は各集落ごとにある。屋地大日堂の承応(じょうおう)三年(一六五四)銘の庚申塔は松代周辺ではもっとも古いものであり、市内でも古い部類に属する。岩沢・田中浄福寺には明暦(めいれき)年間(一六五五~五八)、竹原の寛文(かんぶん)元年(一六六一)のものがあり、延宝年間(一六七三~八一)のものも四基を数える。庚申信仰が江戸時代の初期からさかんであったことをうかがわせる。菅間では、昭和五十五年の庚申年にも庚申塔が建立されている。