一 村のようす

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 江戸時代の東条(ひがしじょう)地区は、いずれも松代藩の直轄地で、藩士の知行地はなかった。集落は東条村の南・北両組が中心で、そのほか城下につづく荒町村・田町などの町外町(ちょうがいまち)および周辺の散村からなっている。安政三年(一八五六)八月の「領内村々家数留」によると、各村の家数は、東条村一七六(南組九三、北組八三)、田中村三六、加賀井村二六、長礼(ながれ)村一六、滝本新田六、田中村のうち外田町四四、計三〇四軒であった。