長礼村は尼巌山麓の村で、水田地帯である。古くから鉱泉の出るところがあって、河原湯とよばれていた。文化初年から加賀井村のものが焚き湯を始めた。『朝陽館漫筆』では、文化元年の春といい、『松代町史』では同二年とする。一時は入浴に来る人も多く、安政六年には湯坪を拡張した。明治十年代には年間人浴客が四五〇〇人におよび、一軒増築したという。
長礼村
長礼村は尼巌山麓の村で、水田地帯である。古くから鉱泉の出るところがあって、河原湯とよばれていた。文化初年から加賀井村のものが焚き湯を始めた。『朝陽館漫筆』では、文化元年の春といい、『松代町史』では同二年とする。一時は入浴に来る人も多く、安政六年には湯坪を拡張した。明治十年代には年間人浴客が四五〇〇人におよび、一軒増築したという。