田中村

416 ~ 417

天王山の西方にある村で、水田地帯である。村高は慶長九年の「四郡打立帳」では、四五八石余以後漸増して『旧高旧領』では四九〇石余となっている。『正保郷帳』では、村高四六三石余のうち、田三七四石余(八〇・八パーセント)、畑八八石余(一九・二パーセント)で水田主体の村であった。享保(きょうほう)年間(一七一六~三六)に新田高一〇石余であった。寛政元年(一七八九)には、天明四年以来の年貢の滞納が籾四九俵におよんでいた(「災害史料」)。『元禄郷帳』の枝村には、外田町村・御安口村の二ヵ村があげられている。慶応三、四年(一八六七、六八)には家数三七軒、人数一五五人であった。