加賀井から大室へ通じる峠である。可候(そろべく)の意味は、道が稲妻(いなずま)形に曲がっていて、草書の「候可(べ)く候」の字体に似ていることからつけられたという。中世以前の古道は、ここから天王山のふもとを通り、地蔵峠を越えて小県方面へ通じていたが、慶長年間(一五九六~一六一五)の北国(ほっこく)街道松代通りの開通によってすたれ、廃道となった。江戸時代には、盆や彼岸には、この峠へ登る風習があった(『つちくれかかみ』)。野遊びの場所だったのだろう。
可候峠
加賀井から大室へ通じる峠である。可候(そろべく)の意味は、道が稲妻(いなずま)形に曲がっていて、草書の「候可(べ)く候」の字体に似ていることからつけられたという。中世以前の古道は、ここから天王山のふもとを通り、地蔵峠を越えて小県方面へ通じていたが、慶長年間(一五九六~一六一五)の北国(ほっこく)街道松代通りの開通によってすたれ、廃道となった。江戸時代には、盆や彼岸には、この峠へ登る風習があった(『つちくれかかみ』)。野遊びの場所だったのだろう。