奥村寸龍

428 ~ 428

田中の俳人で、回文も得意であった。寸龍(すんりゅう)は父に俳句を学び、幽水亭と称して松代の俳壇で活躍し、世話役として天王山に芭蕉塚を建立した。天保三年(一八三二)五月、月院舎何丸が田中の浄福寺を訪れて歌仙を興行したが、そのなかにも名がみえる。父の奥村喜平治も俳人で、俳号は五遊(ごゆう)・井田舎といった。