傾斜地が多い東条地区は、はじめ松代町周辺の住宅の適地であった。たまたま遊休地があったのを利用して住宅団地の造成が計画された。のち自家用車の普及によって長野市の通勤範囲となったためそのベッドタウンとして発展した。昭和三十六年に屋地(やち)公営住宅(二〇戸)が建設され、昭和四十年には柳町住宅団地(三三区画)、昭和四十一年西河原県営住宅(二四戸)が着工、五十三年には皆神台(みなかみだい)住宅団地の分譲開始、五十二年松代温泉団地とつぎつぎに造成された。東条地区の人口は急増しており、増加率は松代地区ではもっとも高い。