東条保育園 昭和三十年(一九五五)に、東条小学校の一部を利用して、季節保育園として開設、その後松代群発地震にさいして柳町地区に仮設移転され、のちに東条小学校の西がわに新設された。
蛍の里 戦後さかんにおこなわれた河川や用水路の改修によるコンクリート水路化や農薬の普及は、自然環境を急激に破壊した。その反省として自然をとりもどす事業が取りあげられた。東条小学校では、湧水などめぐまれた自然を生かしたゲンジホタルの里づくりに取りくんだ。昭和五十九年、大日池の北がわに一五〇メートルの自然水路をもつ蛍観察学習地をつくり、長野西高校の協力を得て蛍の幼虫を放流していた。現在は藤沢川でも改修工事にあわせて親水水路の整備がすすめられている。
国民宿舎松代荘 昭和三十七年、温泉開発計画案が松代町議会で可決され、同三十九年には松代観光開発会社が設立された。地域一帯の開発をめざしたが、長野市合併によって長野市開発公社へ引き継がれた。コンクリート二階建ての国民宿舎町営松代荘は昭和三十九年に竣工した。同四十四年松代群発地震調査のための発掘の結果、地下一九三三メートルの地点から九八度の温泉が湧出(ゆうしゅつ)した。温泉利用が認可されて、松代老人憩の家・県母子休養ホーム海津荘(県事業団、昭和四十年開設)・保険保養訓練センター(市開発公社、昭和五十六年開設)にも給湯するようになった。平成十年(一九九八)、国民宿舎松代荘の改築が完成した。
その他の施設 松代福祉寮は、松代小学校の同級会に始まる社会福祉法人湖(みずうみ)会によって、昭和二十七年屋地の工場跡に開設された養護施設である。同三十一年に改築して現在にいたっている。
養護老人ホーム尚和寮(しょうわりょう)の前身は、明治十六年(一八八三)三月、幼老保護施設として善光寺大勧進の境内に創設された尚和寮である。入寮者の増加にともなって昭和三年には育児を切り離して運営してきたが、騒音や排気ガスによる環境悪化のために、昭和四十六年東条へ新築移転した。四十八年からは長野市社会事業協会の所管となり、松代デイサービスセンターも併設されている。