昭和二十五年(一九五〇)二月、北埴町村議会議員会が中心になって、翌二十六年四月を目途に松代町ほか六ヵ村の合併が企画されたが、豊栄村は機熟せずとして合併しなかった。その後同二十八年二月、松代中学校が焼失したのを契機に、松代町が中心となって、合併の基本方針にある一町六ヵ村の規模による組合立中学校の設立を企画し、関係町村によびかけた。豊栄村はこれに賛成しなかった。同年十月の町村合併促進法の実施にともない、豊栄村をはじめ他の二ヵ村は抱えている事情を乗りこえ、昭和三十年四月一日、松代町に合併した。同四十一年五月、地方自治法にもとづく「長野市他一市四町三ヵ村合併協議会」が設立され、松代町は同年十月十六日長野市と合併した。区域名は松代町豊栄となり、また、行政名は松代第一九・第二〇・第二一・第二二となった。