四 戸口の移り変わり

441 ~ 442

 江戸末期から明治時代にかけては、自然増中心のゆるやかな人口増である。大正期から昭和二十年(一九四五)までも増減は少ない。しかし、昭和十三年から二十年にかけて満州国への義勇隊志願や移民等で五十数人が渡満している。敗戦後一時期人口増がみられるが、これは中国大陸からの引き揚げや国内からの一時帰郷によるものである。高度経済成長期には、人口の流出がみられ、同四十一年に長野市へ合併したあとも人口の減少はつづいたが、平成時代に入ってから微増に転じている。団地の造成がおこなわれ、世帯数は増加傾向にある。


表1 豊栄の戸数と人口