平林北方、皆神山南麗に位置する径一八メートルの積石塚古墳である。明治八年(一八七五)に発掘されたもので、内部構造は不明である。出土品の多くは散逸してしまったが、数片に破損している六鈴鏡一面が残っている。この六鈴鏡は、更埴地方の古墳から出土したものとしては、この観音塚古墳出土のものが唯一のものである。その他、勾玉、切子(きりこ)玉、金環、銀環、鉄環、鉄鐔(てったん)、鉄鏃(てつぞく)、甲胄(かっちゅう)破片、雲珠(うず)、辻金具、轡(くつわ)などが出土した。古墳時代後期に属する。
観音塚古墳
平林北方、皆神山南麗に位置する径一八メートルの積石塚古墳である。明治八年(一八七五)に発掘されたもので、内部構造は不明である。出土品の多くは散逸してしまったが、数片に破損している六鈴鏡一面が残っている。この六鈴鏡は、更埴地方の古墳から出土したものとしては、この観音塚古墳出土のものが唯一のものである。その他、勾玉、切子(きりこ)玉、金環、銀環、鉄環、鉄鐔(てったん)、鉄鏃(てつぞく)、甲胄(かっちゅう)破片、雲珠(うず)、辻金具、轡(くつわ)などが出土した。古墳時代後期に属する。