関屋城跡

446 ~ 446

関屋 関屋氏は諏訪神氏の一族で、「諏訪神氏系図」によると、大祝為仲(おおほうりためなか)を祖として子孫行光のときに関屋の地に移って関屋氏を称した。源関(げんせき)神社は、関屋氏の庇護(ひご)が厚く、応永十二年(一四〇五)同社再建の棟札(むなふだ)には関屋市兵衛が本願主になっている。関屋の地は地蔵峠のふもとにあって、関屋氏は交通の要衝を扼(やく)していたと考えられる。明応(めいおう)元年(一四九二)以後に、村上氏によって滅ぼされたという。明徳寺の南方の山腹には石塁、空濠、平場跡等があり、関屋氏の城跡と伝えている。