豊栄地区には、二百五十余の石造文化財が確認されている(『長野市の石造文化財』第四集)。三十三ヵ所巡礼塔(三八基)、聖(しょう)観音(三〇基)、馬頭観音(二三基)、庚申塔(こうしんとう)(二〇基)、地蔵菩薩(ぼさつ)(一九基)などである。これらの石造物は、ほとんど江戸時代中期以降のものである。なかでももっとも古いものは、地区内牧内北原にある明暦(めいれき)二年(一六五六)の銘のある宝塔型庚申塔(高さ一五六センチメートル)である。庚申塔には三猿が付きものであるが、この庚申塔には二鶏・二猿で、四〇人の結衆(けっしゅ)により造立された。庚申塔は、その他、虫歌観音堂、藤沢萩神社、皆神神社などの境内に造立されており、このことから人びとの集会の場が神社の境内にと移ってきたことが知られる。
三十三ヵ所の観音霊場をめぐる信仰は、「一度は西国巡礼をしなければ終身の恥となる」ともいわれるようになり、近くて巡礼のできる巡礼塔が作られた。虫歌観音堂境内には西国三十三番札所があり、御詠歌が刻まれた光背型の千手観音立像(三二基)などがある。同境内には、元禄期から宝永・享保(きょうほう)期にかけての聖観音立像が三〇基ほどあり、観音講がさかんであったことが知られる。
赤柴には、多くの馬頭観音、道祖神がある。古くから東信と北信を最短距離で結ぶ地蔵峠の街道筋であることとも関係があろう。十王信仰もさかんで、平林の十王堂、桑根井の瑠璃光(るりこう)殿にも十王像がそれぞれ安置されている。
地区内には岡野石城、袮津左盛、白川陽庵等の多くの顕彰碑がある。