口留番所の屋根修覆維持

454 ~ 454

 地蔵峠のふもとにある関屋村には口留番所が設けられていた。番所の維持のために、寛保(かんぽう)四年(一七四四)建て替えがおこなわれ、建築資材は口留番所の役人喜左衛門が調達している。明和九年(一七七二)および寛政十二年(一八〇〇)には屋根の葺(ふ)き替え工事がおこなわれている。同十二年の史料によると、番所は長さ六間五尺、横三間で、坪数は二五坪五合の建物であった。調達した用材は萱(かや)六七駄三束、押木竹一〇〇本、芝二四枚、中縄三一束、人足は屋根職人三三人、手伝人三〇八人で、屋根職人の手間賃は一日一人につき籾(もみ)三升とあり、合計工事費は金二両一分銀八匁五分(ふん)四厘であった。この工事費は、欠村・平林村・桑根井村・牧内村・関屋村の五ヵ村が石高に応じて出すことになっていた。その総高は、九〇九石二斗二升四合であった。これを高一〇〇石について銀一五匁七分八厘七毛の割合で負担した。屋根の葺き替えは、一〇年から十七、八年ごとにおこなっている(『松代町史資料』第二集)。