農道は古くから耕作地に通ずる関係者により開設され、道路管理のために、耕地面積の多少にかかわらず春秋二回の道普請に出役して道路の整備をおこなってきた。第二次世界大戦後、農業の近代化をはかり農機具の導入がすすみ、それにともない農道整備がおこなわれた。昭和三十年(一九五五)には豊栄土地改良区が設立され、水田の客土および農道の整備が進んだ。三十三~三十四年にかけて小田地開発整備事業(用水路の整備)、三十九年には農道構造改善事業がおこなわれた。五十七年現在で一三五ヵ所の農道がある。
豊栄地区の総面積の約八〇パーセントが山林である。その大部分は薪炭林として生産され、農閑期の収入源として大きな役割を果たしてきた。昭和三十三年ころより用材林の需要が高まり針葉樹林の植林がおこなわれた。国は造林計画をすすめるため林道の整備に力を入れ、地区内には一四線の林道が開かれた。同四十六年には御林林道が整備された。