蛭川・藤沢川の改修工事

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昭和三十三年九月の台風二一・二二号は、この地域にも大きな被害をあたえた。蛭(ひる)川は堤防決壊一ヵ所、橋梁(きょうりょう)流失一九ヵ所、道路決壊五二ヵ所、藤沢川も堤防決壊二ヵ所、橋梁流失二ヵ所、道路決壊七ヵ所をもたらした。豊栄地区内では、家屋の半壊二戸、床上浸水三戸、床下浸水一五戸、田畑流失二七反、埋没三反、冠水四〇反という被害が出た。翌三十四年台風七号で、またもや大きな災害をうけた。

 昭和三十五年、蛭川の改修工事が国の工事としておこなわれることになった。その工事の進行中、三十七年七月十三日には五〇年ぶりの集中豪雨に見舞われ大災害をこうむった。四十二年から五十二年にかけて両河川の改修工事がおこなわれたが、昭和六十二年に計画の見直しがなされた。その主なものは、護岸の幅を三メートルに拡幅、千曲川堤防から蛭川と藤沢川との合流地点までの河床を掘鑿(くっさく)し、河床幅を一〇メートルに拡大、同時に宮崎地籍の大日池の北で蛭川の流れを藤沢川と合流させる河道変更などで、その工事が進められ、平成五年(一九九三)に完成した。金刀比羅神社がある地籍より北の旧蛭川の一部は道路として利用する予定となっている。